悪夢的な酩酊感——Salvatore Scibona, "Do Not Stop"
Salvatore Scivona の “Do Not Stop” を The New Yorker(Web)で読んだ。海兵隊員でティーンエイジャーの Vollie は、沖縄の基地からベトナム戦争に派兵され、輸送車を運転する任務につく。あるとき彼の立ち寄ったケサンの基地が、北ベトナム軍の襲撃にあう。
Scibona は1975年生まれの作家で、これまで New Yorker 誌などに短編を発表し、同誌が選んだ "20 Under 40” (40歳以下の作家20人)に名を連ねている。長編を一作発表し、二作目の刊行を控えている。
これは既刊。
The End: A Novel (English Edition)
- 作者: Salvatore Scibona
- 出版社/メーカー: Penguin Books
- 発売日: 2009/10/06
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こちらは2019年3月に刊行予定のようだ。
The Volunteer: A Novel (English Edition)
- 作者: Salvatore Scibona
- 出版社/メーカー: Penguin Press
- 発売日: 2019/03/05
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"Do Not Stop" を支配するのは、あっけない死、状況もわからない中で襲撃される混乱、アメリカ軍の蛮行、乱れたモラル、飲酒による酩酊。そういったものが、言い換えや言い直しを多用し、難解ではないが整ってもいない文章で綴られ、物語全体が一種の悪夢のようだ。沖縄で飲んだくれていた次の瞬間にはベトナムに着いているという時間の飛びかたも夢のようだし、 自分自身や置かれている状況に対する Vollie の自意識がほとんど伺えないのもまた夢っぽい。これは Vollie の輸送任務のモットー “Keep Going” とも共鳴している。言い換えるにこのモットーは、何も考えず、感じるなというふうにも解釈できるからだ。
教訓はこうだ、大事に思うあまりどこに目をやっても自分がそれを失う光景が見えてしまうもの、そういうものはかならず取り上げられる。たとえ自分の命であっても。
Vllie の行動には直接的ではないけれど自傷的なところがある。襲撃のさなか、どこから撃たれるかわからない場所を弾薬を取りに走ったりと無謀な行動もとる。その背景には上に引用したような、運命というものに対する諦めにも似た達観があるように思える。
The New Yorker [US] January 21 2019 (単号)
- 出版社/メーカー: Conde Nast Publications
- 発売日: 2019/02/01
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Salvatore Scibona. “Do Not Stop.” The New Yorker, 21 Jan. 2019.
死んだ「偉大な父」をめぐる葛藤――Taymour Soomr, "Philosophy of the Foot"
The New Yorker に載った Taymour Soomro の "Pholosophy of the Foot" を読んだ。この作者が発表する初めての作品だ。パキスタンのカラチに母親と住んでいる男 Amer。死んだ父が遺してくれるはずだった邸宅がおじの手に渡ってしまい、母子ふたりはアパート住まいを余儀なくされており、母親はそんな境遇をしじゅう嘆いている。あるとき Amer は、家の前の路上で靴の修理をする少年と交流をもち、父の遺品の靴を一足預ける。
The New Yorker [US] January 7 2019 (単号)
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ふたりの暮らしに影を落としているように見えるのは、亡くなった父親の存在だ。外国の首脳といっしょに写った写真が遺されていたりするこの父親は、亡くなってもなお「偉大な父」なのだ。
そのような状況に置かれた Amer にとって、少年はささやかな逃避あるいは救いのよすがになる。理由はいくつか考えられる。少年もまた何らかの争乱により故郷の村を追い出された経緯があるので家を追われた Amer と共通点があるし、父が亡くなってもなお「息子」という役割を抜け出せない Amer が、疑似的に父親役をできる相手だからかもしれない。それからもうひとつ。少年は「足に耳を傾けるんだ」と告げる。「足は、進めとか戻れとか、じっとしてろとか伝えてくれる。耳を傾ければわかるんだ」。「今」に身を任せろという少年の「哲学」は、過去にとらわれた Amer の耳には新鮮に響いたのかな、と思える。
しかし少年に同性愛的な関心を抱いた Amer は、相手のすげない拒絶にあう。Amer の行動は、ふたり以外のだれかに知られたり咎められたりすることはない。この作品は Amer の行為を、個人と社会との軋轢とかそういった問題としてではなく、個人の倫理の問題として取り上げている。うらみに心が凝り固まってしまったように見える母親と、日々に倦んでしまったかのように無感動に暮らす息子。その息子が救いを求める行為のなかで犯す過ちを描いた短編なのだ。
Taymour Soomro. "Philosophy of the Foot." The New Yorker, 7 Jan. 2019, www.newyorker.com/magazine/2019/01/07/philosophy-of-the-foot/
いけすかなくも病的な語り―― Amos Oz, "All Rivers"
The New Yorker [US] January 14 2019 (単号)
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Amos Oz. "All Rivers." Translated by Philip Simpson. The New Yorker, 14 Jan. 2019, www.newyorker.com/magazine/2019/01/14/all-rivers
情感と空白――高山羽根子『オブジェクタム』
表題作「オブジェクタム」の主人公である少年は、街のあちこちに張り出される壁新聞の作者が祖父だったことを偶然知る。大人になって街を訪れた彼は、祖父が新聞を作っていた場所へある物を返しに行く。
意外とリーダブルなちょいパラノイア小説――リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』
上の二つが河出文庫版。
- 作者: リチャードパワーズ,Richard Powers,柴田元幸
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2000/04/14
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こちらが実際に読んだほう。二段組だ。
強烈な意地にとらわれた男の非-贖罪行為――J・M・クッツェー『恥辱』
- 作者: J.M.クッツェー,J.M. Coetzee,鴻巣友季子
- 出版社/メーカー: 早川書房
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まずもってそこそこモテてきたインテリ初老男の自意識がたいへん嫌な感じで描かれている。女性の容姿を値踏みし、手ごめにした相手から告発されても反省などせず開き直る。デイヴィッドはまったく同情できない人物だが、強烈な「意地」が前面に出た会話は面白かった。
評価されづらい作家の突出した名作——シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』(上岡伸雄 訳)
シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』の新訳が新潮文庫から出た。一九一九年に刊行されたこの作品は二十二の物語からなる連作短編で、新潮文庫の旧訳(橋本福夫訳)、講談社文芸文庫の小島信夫・浜本武雄訳など、これまでに何度も邦訳が出版されている。舞台は米国オハイオ州の架空の田舎町ワインズバーグ。その住人たちの秘められた心のうちに、一編一編の物語が焦点を当てる。町の新聞社で働く若者ジョージ・ウィラードがときに話の聞き役として、ときに傍観者としてあちこちに登場する。
いま・ここへの違和感
登場人物の多くは、いま・ここ(にいる自分)への強い違和感にとりつかれている。「死」という一編では、ジョージの母エリザベスが若かった頃、《町から抜け出し、服からも、結婚からも、体からも、すべてから抜け出し》たい思いで、闇雲に馬車を走らせた出来事が描かれる。「冒険」のアリス・ハインドマンは、結婚を約束したのに町を出て戻らない恋人を待つうちに、《どうして私はここに一人でいるの?》という狂おしい疑問にとらわれる。
ちょっと鼻じらむ一般化
「狂信者」に登場する農場主の娘ルイーズ・ベントリーは、本当の人生からはじき出されたような気持ちでいる。《自分は世間のすベての人々から壁で隔てられ、ある内輪のグループの外側にいるような気が》している。衝動的に恋人を作っても求めていたものと何かがちがう。語り手はルイーズのことを《のちに産業社会が世界に大量に送り出すことになる、神経過敏な女性たちという人種の一人》と称する。
この一節を読んで鼻白んだ人もいるかもしれない。人の心を社会構造で説明する単純さ。女性に対する過度な一般化。そう、アンダーソンにはどうにも大仰で、そのくせ単純なところがある。塗料の通販会社を経営していた作者は三十代後半で作家デビューし、四十三歳で『ワインズバーグ』を発表して名声を得る。先輩作家としてフォークナーやヘミングウェイの尊敬をかちえたが、後に二人とも自作でアンダーソンのことをパロディ的に揶揄している。作者の意見が前面に出すぎる傾向のせいか、長編の評価は高くない。
女性の神格化・ミソジニーへの批判的な切り口
けれど『ワインズバーグ』は一味ちがう。「神の力」のカーティス・ハートマン牧師は、自分に信仰への熱意が欠けているという不安にとらわれているが、女性教師ケイト・スウィフトのむき出しの肌を覗き見てしまったことで心境が一変。ケイトのことを神が与えた試練と解釈し、誘惑にあらがうなかで熱い信仰心がみなぎるのを自覚する。自己表現に苦しむ女性たちの孤独は深まるばかりだが、男たちは女のことをいいように解釈することで、目の前の違和感から逃避するという対比がなされているのだ。
似た例はほかにもある。「品位」に登場する醜い男ウォッシュ・ウィリアムズは女を忌み嫌い、《男たちはみんな、自分の人生を雌犬〔ビッチ〕に操られてしまうじゃないか?》と毒づく。憎悪の底にあるのは、かつて自分の献身的な愛を踏みにじった妻とその母親への恨みだ。しかし今となっては、女に裏切られた情けない(と本人が無意識に思っている)自分を、女を憎んでいるあいだは忘れられるという動機があるように見える。
意図的どうかは別として、こういう男女の描き分けは《神経過敏》に還元できないジェンダーの問題を浮き彫りにしていて、短編どうしの関係で読ませる連作短編の面目躍如だ。簡潔さと厚みの両立。登場人物の孤独や閉塞感とマッチする細分化された形式。アンダーソンは長編よりも短編の名手として知られ、収録作のいくつかはまず短編として雑誌に掲載されたが、彼が『ワインズバーグ』を連作としてまとめ上げたメリットは数えだすときりがない。だからこそ本作は、アンダーソン作品のなかでは突出した名作として読まれつづけているにちがいないのだ。
シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』上岡伸雄 訳.新潮文庫,2018年.