安部公房『砂の女』と『燃えつきた地図』
- 砂の女
- 燃えつきた地図
砂の女
昆虫採集に出かけた男は、砂漠のなかの集落に偶然足を踏み入れ、だまされて働き手として囚われ、砂に囲まれた家でひとりの女と暮らすことになる。
驚くほどリーダビリティが高く、三日で読んでしまった。
寓話のようだが、新聞の見出しや失踪の通知、村落の運営の仕組みといったディテールを通して社会の気配を感じさせる。砂漠の集落に囚われるという大きな嘘はあるものの、男の言動や心理にはリアリティがある。またときおりぎょっとするような生々しいセリフや描写がある。
しばらくして、いたわるように、女がぽつりと言った。 「ごはんの支度にしましょうか?」(70)
男の本名が出てくるのが失踪に関する家裁の公文書のみで、本編は「男」で通されているのも名前(個)をはく奪された感じがありよい。
以下は気になったところをメモ程度に。
生徒たちは、年々、川の水のように自分たちを乗りこえ、流れ去っていくのに、その流れの底で、教師だけが、深く埋もれた石のように、いつも取り残されていなければならないのだ。(87)
流動と固定の対比。
「要するに、あなたは、精神の性病患者なんだな……」(150)
精神の性病患者……すごく強烈なdis(?)だ…。
「こんな、貧乏県に、なにが出来るもんですかね……私ら、はっきり愛想つかしております……とにかく、いまのやり方が、いっとう安上りなんだね……役所なんぞに、まかせておいたら、それこそ、そろばんはじいている間に、こちとら、とっとと砂の中でさあ……」(170)
男のなかに目覚めるアナキズムに注目して読んだが、これも十分アナキズムではないか。いや、では人をだまして共同体に縛り付けなくてはいけないアナキズムとは、アナキズムと言えるのか?
Got a one way ticket to the blues, woo woo—
(こいつは悲しい片道切符のブルースさ)……歌いたければ、勝手に歌うがいい。実際に、片道切符をつかまされた人間は、決してそんな歌い方などしないものだ。[…]歌いたいのは、往復切符のブルースなのだ。(180-81)
ブルースへの謎の啖呵。
せいぜいまともなところで、片道切符しか知らない、遊牧の民ぐらいのものである。切符は、もともと片道だけのものと思い込んでいれば、岩にはりついた牡蠣を真似て、砂にへばりついてやろうなどという、無駄な試みもせずにすむ。もっとも、その遊牧も、今では畜産業と、呼び名まで変ってしまったが…… (203)
切符の比喩はたぶん重要。
同じ図形の反復は、有効な保護色であるという。 (235)
保護色の比喩もたぶん重要。
「そりゃあ、かならずしも、出来ん相談じゃあるまいねえ……まあ、例えばの話だが、あんたたち、二人して、表で、みんなして見物してる前でだな……その、あれをやって見せてくれりゃ、こりゃ、理由の立つことだから、みんなして、まあ、よかろうと…」 253
集落の老人が主人公に言う。どこが理由が立つんだ…
砂の変化は、同時に彼の変化でもあった。彼は、砂の中から、水といっしょに、もう一人の自分をひろい出してきたのかもしれなかった。
と、いうことなんでしょうなあ。
いま、彼の手のなかの往復切符には、行先も、戻る場所も、本人の自由に書きこめる余白になって空いている。 (266)
脱出することで頭がいっぱいではなくなってはじめて手にする自由。
燃えつきた地図
失踪した夫の捜索を依頼された興信所員の「ぼく」が、調査を進めるうちにやがて自分を見失っていく。
長編だがごく短い日数のできごとをかなり濃密に描いている。
謎あり、乱闘あり、人死にあり、おまけに依頼人の怪しげな弟ありで、意外にかなりページターナー的な要素があり、特に前半はどんどん読んでしまった。
続きを読む若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』
今の自分のために書かれたかのようなタイトルが気になって、若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』を手に取った。
量とスピードにこだわらない。無理に読もうとせず、出会いを待つ。
本を読めなくなったのは、本を読むことが、よろこびではなくなったということです。
どこかで読んだような話が多く含まれている。それでも今の気分にマッチしたのか、最後まで読み通すことができた。
読めない時は自分で書いたり、抜き書きをしたりするというのは面白いアプローチと思う。第一歩として、切実に感じているものを調べてみることというのも面白い。調べるということの能動性。
保坂和志が、本はそれを読んでいる時間の中にしかない、という趣旨のことを言っていたのを思い出す。
ほんとうに本を読みたいのであれば、よい本を手にするだけでなく、ひとりの時間を確保しなくてはなりません。
これはたしかにある。いまプライバシーないもんな。
水野英莉『ただ波に乗る Just Surf サーフィンのエスノグラフィー』(晃洋書房,2020年)
つらさと身勝手とヘミングウェイ——アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』(小野正嗣 訳)
一九七〇年代の終わり頃、『ファミリー・ライフ』の主人公である八歳の少年アジェは、インドのデリーから一家で米国へ移り住む。兄は猛勉強の末、入学を希望する理科高校の試験に見事合格。だが喜びもつかの間、事故で脳に損傷を受け、意思の疎通もままならない寝たきり状態になってしまう。一家にとって、いつ終わるとも知れない長い介護生活が始まる。
この作品はかなりの部分で作者アキール・シャルマの体験をもとにしている。シャルマもまた、インドのデリーで生まれて八歳で渡米。大学で創作を学んだのちに投資銀行に勤めつつ、二〇〇〇年に長編デビュー作を刊行した。『ファミリー・ライフ』は二〇一四年に発表された第二長編。作者自身、脳に損傷を負った兄を長く介護した経験をもつ。
本作は語り手アジェのつらさだけでなく不正直さや身勝手さも容赦なく描く。彼が兄ビルジュの事故を知って涙するのは《ビルジュはこれから入院することになるのに、僕は普段と変わりばえのしない一日を過ごしただけ》と思うからだし、学校の友達にはビルジュをスポーツ万能で弟思いの理想の兄に仕立て上げて話す。ガールフレンドにキスしてもらうために《慰めてほしいというようにビルジュの病気のことをほのめかし》さえする。
しかしそれでアジェの悲しみが否定されるわけではもちろんない。《息ができなくなるくらい激しく泣きじゃくるのもしばしばだった。そんな時、僕は自分から抜け出した。僕は歩きながら喘いでいる。と同時に、僕自身の不幸が僕のそばを歩きながら、僕のなかに戻れるよう、呼吸が静まるのを待っているのがわかった。》夢中で泣いて悲しみから逃れても、それは一時のことにすぎないのだ。
アジェはとにかくよく喋る。学校の友達が嘘だらけの兄自慢にうんざりしてくると、こんどは介護の詳細を生々しく聞かせて相手を辟易させる。反応を示さない兄にさえ話しかける。
一日中、何もしてないよね。(…)「僕は学校に行かなくちゃいけないし、勉強してテストを受けなくちゃいけない」。喋れば喋るほど怖くなっていった。
解決になるわけでもないのに、駆り立てられるようにアジェは喋る。
そんなアジェに、言葉との別の付き合い方を教えてくれるのが、作家ヘミングウェイだ。有名作家を読んだふりしたい見栄っ張りのアジェは、ヘミングウェイ本人の作品ではなく彼に関する伝記や評論ばかり読むうちに、小説家になりたいと思うようになる。ヘミングウェイの特徴がシンプルな文体なのを知って、《作家になっても、すごく上手な書き手である必要はない。いい生活を送るにはそこそこのものが書けていれば十分なのだ》と曲解するくだりは可笑しい。
アジェはついにヘミングウェイ本人の作品を読む。すると評論で読んだことが作品の内容とつながり、《不意に立ち上がったときのような、頭がすっきりとして、部屋がぐっと広がって感じられるような》感覚をもつ。達観や心の平穏といった類の救済とは無縁の本作にあって、読書へのすこし変わったアプローチによって主人公の《世界の見え方が変わ》るこの一節は、短いあいだながら開放感にあふれた部分と言ってよい。
それからアジェは自分の物語を書きだす。だからといって彼が急に人間的な成長を遂げるわけではないし、作品の終盤では、アジェが心にかかえた問題はほとんど解決のしようがないことが示唆されている。本作は、一筋の縫い目のようにまっすぐ問題の解決へと向かう物語ではなく、悲しみも喜びも可笑しさもない交ぜに、さまざまな種類の経験が入り組んでできた複雑なタペストリーだ。兄の事故にしてもヘミングウェイとの出会いにしても「その後」の時間はずっと続いて行くのだし、その時間を複雑さを損なうことなく描いていることが、この小説では肝心なのである。
【ネタバレ】パワーズ『オーバーストーリー』を読んだメモ
リチャード・パワーズの『オーバーストーリー』を読みながら取ったメモを置いておこうと思う。
ごくまれに自分の感想や気になった書いてあるけれど、基本的には何ページで何が起こるかがひたすらメモしてあるだけ。全てがネタバレそのものなので注意してください。
その段階ごとに書いているので、後から見て自明なことも「?」になってたりもする。自分用なのでわかりづらいし間違いも多いとは思うが、中身を整理したい人の役に立てばよいと思う。
個人的には、これは「啓示」の話として読んだ。ある日突然、自分たちのそばにいる樹木という存在に対して、目が開かれてしまった人たち。目覚めてしまった人は目覚める前に戻ることはできない。啓示を受けた人間どうしはつながり、啓示を受けていない世界と相対する。
絶望の眼鏡でものごとを見る——Emma Cline, "What Can You Do with a General"
The New Yorker [US] February 4 2019 (単号)
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この短編は John から見た家族の昔と今の話だ。John はいわば絶望の眼鏡をかけて世界を見ている人で、その目から見た些細でいて不快なものごとの描写がこれでもかとつづく。例えば故障して食べかすが食器につく食洗機。例えばペースメーカーをつけて生きながらえている犬の震え。そのうち多くのことは家族、とくに娘のひとり Sasha に関わることだ。食事中にも彼氏との電話をやめないこと。クリスマスプレゼントを喜ばないこと。犬のおもらしを途中までしか始末せず放置すること。Sasha のことがほかのふたりの子供以上に心に引っかかるらしい父親 John は、彼女とふたりで車で外出することになるのだが——。
The Girls: A Novel (English Edition)
- 作者: Emma Cline
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Emma Cline. "What Can You Do with a General." The New Yorker, 4 Feb. 2019.
ハードルの高い寓話――Haruki Murakami, “Cream”
十八歳のとき浪人生だった「僕」は、以前いっしょにピアノを習っていた女の子から演奏会の招待状を受け取る。しかし出向いてみると、会場になるはずの場所には門扉の閉ざされたビルがあるばかりで、人っ子一人いない。「僕」が公園で途方に暮れていると、居合わせた老人が謎めいた言葉——「多くの中心をもち、周をもたない円」——を口にする。
The New Yorker [US] January 28 2019 (単号)
- 出版社/メーカー: Conde Nast Publications
- 発売日: 2019/02/08
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