本を高く積め

本をつい買ってしまう人の雑記です。

2015-01-01から1年間の記事一覧

ミシェル・ウエルベック『服従』

二〇二二年のフランスで、いまだかつてない政変が起こる。戦略的な政治活動で着実に支持を広げた穏健派イスラーム政党《イスラーム同胞党》が、大統領選によって政権をにぎるのである。 ミシェル・ウエルベック作『服従』の主人公である《ぼく》ことフランソ…

ウィラ・キャザー「ポールの場合」

その日の午後ポールは、ピッツバーグ・ハイスクールの教師たちの前で、問題行動の数々について弁明することになっていた。一週間前から停学処分を受けており、校長室に出向いた父親は、彼じしん息子には手を焼いているのだと打ち明けていた。ポールは泰然自…

エドゥアルド・メンドサ『グルブ消息不明』

一九四三年、バルセロナ生まれのエドゥアルド・メンドサは、同じスペイン語圏のガルシア=マルケスらラテンアメリカ文学の「ブーム」を目にしながら、一九七五年に作家デビュー。『グルブ消息不明』は一九九一年に発表され、作者が自分の作品で最も売れたと…

テッサ・ハドリー「絹のブロケード」

アン・ギャラガーはラジオに耳をかたむけながら、七分袖のゆったりしたショートジャケットを、ネイビーがまだらに散った薄紫のウール生地から切り出しているところだった。自分のデザイン――対になるひざ丈のペンシルスカートもあった――から型紙を起こし、い…

ジョシュア・フェリス「微風」

ブルックリンに夫ジェイと暮らすサラは、春の始まりのある朝、急に焦燥感にかられる。 そよ風、ああ、なんていう風だろう! サラは思った。何回くらい味わえるだろう。たぶん人生に、両手の指で数えるくらい……それにもう消えてしまった。家並みに沿って速さ…

アントニオ・タブッキ『イザベルに ある曼荼羅』

『イザベルに ある曼荼羅』の語り手タデウシュは、ポルトガルのリスボンで、かつて消息を断った女イザベルの足跡を追っている。彼女の学生時代の友人モニカは、イザベルが当時の独裁政権への抵抗運動に関与していたこと、音信不通のある日、突然新聞に死亡告…

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ「アポロ」

月に二回、まるで良い息子のお手本のように、ぼくはエヌグにいる父と母を訪ねた。やたらにいい家具に囲まれた二人のフラットの室内は、午後になると暗がりになった。退職してから両親は変わった。小さくなってしまったのだ。歳は八十代後半、小さな体で肌は…

コルム・トビーン「眠り」

朝になると君が何をするか、わたしは知っている。君より早く目を覚まし、じっと横たわっている。まどろむこともあるが、たいていは感覚をとぎすまし、目を開けている。身動きはしない。君を起こさないように。君の穏やかで静かな寝息を聞いているのが、わた…

チェーホフ『桜の園』小野理子訳

昨年で没後百十年を迎えたチェーホフの代表的な戯曲のひとつ『桜の園』には、岩波文庫、新潮文庫、光文社古典新訳文庫と、現在手に入りやすい文庫版が三種類ある。そのいずれの解説も、多くの人が深刻なドラマととらえた本作を、チェーホフが喜劇と呼んで譲…

チャールズ・バクスター「慈愛」

男はひどい苦境に陥っていた。何年もエチオピアで仕事をした――学校で教え、診療所も手伝った――その後だった。現地の食べ物をひととおり口にして、おまけに数えきれないほどの羽虫に刺された。合衆国に戻ったときには、伝染病と一緒だった。両膝、背中と両肩…

M・L・ステッドマン『海を照らす光』古屋美登里訳

灯台守トムと、その妻イザベルだけが暮らす小島ヤヌス・ロックの浜に、ある夜、一そうの小舟が打ち上げられる。ボートのなかには息絶えた男と、生後間もない赤ん坊がいた。当局に報告しようとするトムに対して、イザベルはその幼子を自分たちの子供として育…

梨木香歩『海うそ』

アコウ――クワ科イチジク属。《絞め殺しの木》。温暖な海岸地域に生息。他の樹木の枝上などに寄生し、幾本もの根で宿主の木を覆いつくすと《長い年月をかけて……呼吸を出来なくさせ、死に至らしめる》。大木となったものは《必ずすでにその踏み台を「殺し了え…

桜庭一樹『赤朽葉家の伝説』

約半世紀前、鳥取県西部の紅緑村〔べにみどりむら〕の旧家、赤朽葉〔あかくちば〕家に嫁入りし、やがて《千里眼奥様》と呼ばれた女がいた。女は当主との間に四人の子を産み、娘の一人は、少年少女らの暴走族を束ねるリーダーとしてバイクを駆り、十代にして…

カート・ヴォネガット・ジュニア『猫のゆりかご』伊藤典夫訳

世界には意味があり人生には目的がある、という考えはいったい今日どれほど支持されるだろう。少なくとも世界に「一つの真実」なんて無いということは、誰もが漠然と感じているように思う。例えば宗教ひとつ取ってもそう。聖書もコーランも、信じている人か…